| 155zagato story 002 | |
| 155Z 誕生とその背景2 |
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| 92年から93年にかけて、SZデザインによる図面の製作が行われました。そもそもSZデザインの名前はES-30
SZ製作時にZAGATOとして、CADの導入を行った時のプロジェクト名(GLUPPO SZ)がそのままSZデザイン社のキャラクターを表す名前として移行してきていると言われています。 ZAGATO社は、旧態然とした手書きではなく、時代の波に乗ったデザイン開発も行っている、ということをアピールしたかったのでしょうか、155-ZAGATOの図面には、CADで製作していますとの旨が図枠右端に記載されています。 しかしながら、90年代初頭のCAD、レンダリングモデルレベルでの画像クオリティがあるわけでなく、CGをそのまま販売資料とすることは困難だった用です。そのため、3面図と、データシートのみという販売資料が各代理店へ配布されました。 この時点では、155ZAGATO=4輪駆動ターボであり、CIVTで戦っていたGTAのストリートバージョンという位置づけでした。 TI-Z=Q4ベース GTA-Z=TI-Zのスペシャルバージョンだったのです。 |
![]() SZ社の図面とデータシート。 この図面だけで買え!といわれても。 |
| 発表や試作、年表等から判断をしていくと、プロジェクトスタートがスパダの戻ってきた92年、その後図面の製作開始、試作完了が93年秋ぐらいというところでしょう(spada氏がZAGATOに着任(92年)し、FZ93の終了から半年、そこからプロジェクトがスタートしたとしても妥当なところ)。 155自体のデリバリーは91年末からですが、TIPOシャシーとしては88年から市場投入されています。車両開発についてはそこそこ余裕があったと思われます。 初期に作成された2台のプロトタイプ(右の写真)はいずれもFRP・スチール・アルミパネルのハイブリッド状態で、現車合わせでの加工となり、正直左右の対象化は取れていないところがあったようです。 マゼラティスパイダーを追い出してまで確保したES-30の車両製作ラインを手放しかけていたZAGATO社としては、数100台規模の生産を行うことは困難だったはずです。実質、その工場を使ってステルビオ・ガビアを製作していましたが、ES-30が主体である以上、工場のライン外で作成する他ありませんでした。また、テラッヅァノの工場では試作程度しか出来そうにありません。 本当に何処で量産するつもりだったのでしょうか・・・ デザイン部門であるSZデザインは93年、プロトタイプの作成完了と共に155TI-Zの業務は終了したことになります。一部リアウイング等のデザインに付いてのリファイン等はありましたが、次の車両の開発へプロジェクトは移行していきます。TOYOTA-MODELISTAとのデザイン供与が始まったのはちょうどTI-Zのプロジェクトが終了した時期くらいでしょうか。 CADデータを利用した外装のリファインによる車両設計というノウハウが確立しつつあることも、その後のZAGATOハリアー・VM180という同様の量産車両から見うけることができます。 |
![]() 車両開発用のテストベッド車両 エンジンは190PSのノーマル仕様 やはりテストといえばMONZAですね。 ![]() ZAGATOJAPANのプレゼンテーションに出展されたプロトタイプのTI-Z(94/09/03) こちらのエンジンはチューン済み。 |
| このような状態で販売計画を実行に移した155TI-Zでしたが、いくらかは予約が確保されておりました。 93年秋から、イタリア国内でランニングプロトによるテストが開始。通常量産を前提とした車両に対し、1台だけで開発するとは考えられないのですが、そこはZAGATOということで。おそらくは衝撃テスト等やって無いでしょうしね。 ES-30とは流れが大きく違います。ホントはもっとたくさんあるのかもしれませんが、紙面や情報で得られる車両は右の2台だけでした。 その後、94年にプロトタイプが日本へ導入。エンジンのヘッドカバー等から判断すると極初期型のQ4がベース車両。ということは、92年頃からZAGATOが抱えていたということでしょうか(しかしながら、型式は167A2C A2Bではない)。 採寸したり、試作部品のマッチングをしたり・・ (車体の番号から判断すると、かなり最初期の車体なんですよ 工場のロールアウトは間違いなく92年) |
![]() プロトタイプのエンジンルーム エキゾースト・補器類等の変更はありませんが、ちゃんとチューニングされています。 |
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