155zagato story 013
 155Z そのデザイン2
 ALFA155のデザインはTIPO 2/3プロジェクトによって制限されたといっても良い。

 155がこのプロジェクトに組み込まれたのはアルファロメオが全面的にFIATへ移行した時期と重なる。経営陣は155、164ともにFIATグループの商品としてのアルファロメオというブランドを世界へ攪拌しようと試みた。また、このブランドイメージのリーダーとしてES-30が計画・販売されたこともよく知られている。
 75の後継機種として開発されていたNUOVA75は白紙に戻され、TIPOシャシーを基本とした155の開発が始まったのが86年、再びスパダの元にアルファのデザインを行う運命がめぐって来た。
 ワルター・デ・シルヴァからコンセプトを引き継ぎ、TIPO・テムプラ・デドラのデザインを完成していたスパダにとって与えられた次の課題とは、他の車種が持っていなかったスポーティなイメージを如何に投影するかだったようだ。右側のスケッチは当時のイメージレンダリング。いかにも80年代後半に見られた、ホイールの大きく低扁平なタイヤをもつイメージ優先のスケッチ。

 シャシーやグリーンハウスのデザインが確立しているような状態での車両開発はどちらかというと車体のフェイスリフト(マイナーチェンジ)のようなプロセスだったと考えられる。このようなプロセスがスパダにとって満足のいく作業だったのかどうか、そしてその後の155ZAGATOのデザイン時にどのような形として投影されたのか、これらのデザインスケッチを見ながらその「間」を垣間見ることが出来るような気がするのはただの感傷なのだろうか。



IDEA時代の155初期デザインイメージ1
フェンダーのフレアがなくプレーンなスタイル。グリルにも75のイメージが残る。


155初期デザインその2
こちらはサイドのキャラクターラインが追加されている。ナチュラルなサイドラインを目指していたのか。
 初期のイメージレンダリングでは、どのデザインもフェンダー部はスムーズでボディのラインを崩さないように描かれている。ブリスターフェンダーと言うほどではないが、ボディサイドのハイライトとが綺麗に流れるようなイメージが印象的だ。
しかしながら、このようなフェンダーフレアレスなデザインは量産時には採用されることは無かった。
 このイメージがALFAに受け入れられなかったのか、シャシーやドアパネル等の制約によるものだったのか、理由は定かではない。しかしながら、フェンダー部がモノコック構造ではないTIPOシャシーにおいては、ナチュラルなフェンダーラインは鋼鈑プレスで作成する量産車には少々厳しいデザインだったのかもしれない。
 フェンダー内に鋼鈑構造材を持つことが出来るシャシーであれば、もう少し自由度の高いデザインが出来たかも知れないと思うが、この構造があったからこそZAGATOがモディファイ対象とし、TI-Zをプロデュース出来たことも事実である。

 しかしながら、95年にマイナーチェンジされた155のデザインから想像するには、ナチュラルなボディラインが嫌われていたとは思えない。


155初期デザインその3
その2をさらにナチュラルなサイドラインに変更
スポーティと言うよりもラグジュアリなイメージが強い。

 155のマイナーチェンジは、不振であった販売戦略上のフェイスリフトと、ツーリングカーレースにおける戦闘力増強が目的だったと言われている。
 レギュレーション上、車両への大きな改造が出来ないツーリングカーレース(BTCC等)においては、ブリスターフェンダー化による優位点は確かに重要だと思われる。このマイナーチェンジによるブリスターフェンダー・ワイドトラック化は、当時アルファコルセの監督であったジョルジョ・ピアンタ氏からの提案だったと言われる。ピアンタ氏といえば、FIAT-ABARTH時代のレーシングドライバーとして一部の人間にはよく知られている(余談ではあるが、このHPで紹介しているミニカーの中にも実は彼がステアリングを握ったabarthが結構含まれていたりする)。

 このマイナーチェンジは、フロントフェンダー・リヤドアパネル・リヤタイヤハウスそしてリヤクオータパネルの換装が主体であり、不振車へのフェイスリフトとしてはあまりにも変更点・投資額共に少なすぎる。DTMのイメージや、BTCCへの戦力増強を考えるのであれば、過去にデルタで行ったようなワイドフェンダーの採用が検討されていたとしてもおかしくはない。微小なマイナーチェンジに終わった理由の一つとしてはプレス型枠や能力、原料鋼鈑等による設備側への投資制限もあったと考える。デルタのような深絞りのプレスは、もともと応力を受けないことを前提とした155用の外板製造設備では対応が困難だったと考えてもよいだろう。
(ちなみに、TI-Zのようなフェンダーをプレス鋼鈑で造ろうとした場合、材料・設備ともに非常に高価になってしまう。少なくとも、デルタエボのようにフェンダーの中央部はなだらかな勾配を持たざろうえない)

 しかしながら、販売不振の改善と戦闘力強化を目されたマイナーチェンジではあったが結果から見ると、どちらも良い結果を得ることは出来なかった。ワイドトラック化した155D2ではあったが、主戦場であったBTCCはアルファコルセからではなく、BMWやスバルでのWRC参戦で知られているプロドライブによって参戦。フィアットグループ、アルファコルセとしてはDTMへ全力を投じることを選定した。


94年開幕時の155D2
シルバーストーンとしてホモロゲーションを取得
DTM同様、参入初年にチャンピオンとなる



95年時の155D2
デレク・ワーウイックの手によりドライブされた。
ただ、思うような結果は得られなかった。



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